『熟練はんたーさん』 マサキ

 どうやら人間は我々に対して幻想を持っているように思える。我々だって糞もすればネズミだって殺す。生きたままの生物を食らうことだってある。
 それなのに何故奴らは我々を可愛がるのだろうか。




 晴れた夏の日のことだ。私は真っ黒な尻尾を垂直に立て、ときおり揺らしながら散歩をしていた。その日はとても暑い日だったため、大して時間も経たないうちに疲れてしまった。日陰を探し、建物の近くで倒れ込むように寝転ぶ。
 身体中を舌で舐める。この舌で舐めるという作業を馬鹿にしてはならない。舐めれば身体が綺麗になるし、体温も下げることができるのだ。
 ぺろぺろと体表を舐めるうちに、段々と優雅な気分になってきた。やはり日陰は心地よいと考えていたところで、私が隠れていた建物の扉が開いた。中からはひどい騒音が聞こえてきて、せっかく優雅な気分に浸っていた至福の時が崩れ去る。
 建物の中からは様々な色の光と、騒音が漏れ聞こえてくる。人の声でも動物の鳴き声でもなく、生命の様子を一切感じさせないような煩い音だ。
 煩い。すごく煩い。
 転がりながら前足で耳を押さえた。
 けれど、中で何をしているか気になってしまった私は、開いた透明なドアから身を滑らして建物の中へと入り込んだ。
 煩い建物の中で人々は不思議な筐体の前に座り、その筐体についているレバーやボタンを押しながら、ぴかぴかと光る画面を見ていた。
 私はこれを知っている。てれび、というものだ。中にはたくさんの小さな人間が入っていて、人間はそれを眺めて楽しむのだ。
 私もてれびの中を覗こうと思い、近くの少し大きな機械に飛び乗った。ピンク色をした機械で、上のほうは透明な壁で覆われている。
 そこで私は見てしまった。
 透明の壁の中に何匹もの猫が転がされている。私とはすこし見た目が違う猫だ。てれびの中によく映っているような猫がケースの中にいて、まったく動かない。
 もしかして、死んでいる?
 そのとき人間のメスの二人組がやってきて、ピンクの筐体にまあるいコインを入れた。そしてボタンを押す。すると筐体の中で機械の手みたいなものが動いた。
 その機械の手が、筐体の中の猫を掴んだ。
 操作をしていた、帽子を被ったメスが叫ぶ。
「やった、やったよー。一発でとれそう。私すごくない!?」
「うんうん、すごいすごい。これいけそうだよね!」
 それに同調するように青い服を着たメスが雄叫びを上げた。
 ヒトの言葉はわからない。
 だが、私とて狩猟をたしなむ者。大体の雰囲気くらいは判るのだ。恐らく、この二匹のメスはハンターだであり、今まさに獲物を捕まえそうになり興奮しているのだろう。
 おそらくこの施設は狩猟を教える施設なのだ。
 私たちも子猫に狩猟を教えるために、あえて死んだ獲物を使うことがある。きっとそれと同じで、動かなくなった猫を使い狩猟の練習をしているのだろう。
 ああ、なんと恐ろしい奴らだろうか。と、自分たちのことを棚にあげてそう思った。
 そこでまたメスの甲高い雄叫びが聞こえてくる。猛り立つメスは両腕を振り上げ、まるで勝利の舞踊のようなものを踊っている。
「やったー! 一発で成功っ。ぬいぐるみとーれたっ! 私って天才じゃない?」
「ねー! さすがだねー!」
 それに呼応した青いメスが両手でハイタッチをした。一匹仕留めただけでこの喜びようとは、まだまだ熟練のハンターと呼ぶにはほど遠い。
 そこで、帽子のメスが勝利の舞踊を止める。
 私の身体中を悪寒が駆け巡った。
 帽子のメスと眼が合い、息が詰まるような一瞬が訪れた。私と帽子のメスはわずかな間見つめ合い、メスが咆哮をあげた。
「きゃー。ねえみてみて! 猫だよ! 本物の猫。なんでゲーセンにいるんだろ。かわいー。飼ってるのかな? ねえねえ」
「どうなんだろ。首輪してないし野良かもよ? ねぇ、こっちおいでー」
 激情に駆られた帽子のメスとは正反対に、青いメスは冷静にこちらを観察している。手をのばし、チッチッチと口をならす余裕まであるようだ。
 挑発されている。ひよっこが熟練ハンターに挑んできているのだ。しかし、いくらひよっことは言え、体格の差は明確な実力の差につながる。
 燃えるような怒りで身体が熱くなってきた。だが、冷静にそれを沈めていく。尻尾をのばし、頭と肩を思い切り沈める。これが戦いの構えであり、狩りの構えだ。
 相手の動きを一瞬たりとも見逃さないよう、黒く丸い眼で二匹のメスを見つめる。相手が飛び込んできても、その一瞬前に察知できるよう、呼吸のタイミングすらも把握する。
「ねー、こっちおいでってば。ほらほら」
 帽子のメスはしゃがみ込み、私に向かって両手を伸ばしてきた。おそらくこれはあれだ。『どうせ我々に勝てるわけなどない。大人しく降参しろ』。そう言った意味合いだろう。
 ひよっこめ。
 狩りのなんたるかを知らんな。狩りとは、逃げて戸惑う相手を追い詰めるその瞬間こそが楽しいのだ。獲物が生き残るために必死で戦い、私も頭脳を絞って追い込んでいく。
 その一瞬の楽しさも知らないひよっこ相手に逃げ腰なのは屈辱だった。だが、冷静な判断が出来ない猫は猫界で長生きをすることはできない。
 私はその悔しさを胸に押し込め、冷静に、冷徹に戦力を分析する。
 帽子のメスは動きやすそうなズボンをはき、対して青いメスは動きにくそうな腰布を身につけている。
 ならば、青いメスの方から逃げるのが上策だ。
「もー、なんかすごく見てるけど、全然きてくれないね、君は。じゃあ私から行っちゃうよん」
 帽子のメスが静かに開始の合図を告げる。そして足を踏み出してくるその一瞬、私はまさに会心ダッシュをした。
 迫り来るメスをひらりと躱し、青いメスの股下をくぐり抜け、入り口の方へと走り寄る。出口はすぐそこだ。そう思って私は外に飛び出ようとした。
 がしゃんと言う音とともに、身体に鈍い衝撃が走った。薄れゆく意識の中で私は思い出す。
 そうだ、ここには透明の扉があったんだ。




「ねえ、クロ。クロー。ご飯だよーん。今日はCMでやってたやつ買ってきちゃいましたー。食べたい? ねえ、食べたい?」
 そう言って以前に帽子を被っていたメスが、肉の入った銀色の器を私に見せてくる。
 いいから早くよこせ。
 あの透明な壁にぶち当たるという出来事の後、目を覚ました私の横には帽子のメスがいたのだ。それ以来私はこのひよっこと一緒にいる。
 人間が私たち猫に優しくする理由は未だにわからない。
 ときたまあの、ピンク色の箱に閉じ込められるのではないかと考えることもある。だが、まぁそれなりに楽しい毎日だ。
 人間もそれほど悪くない。